千里眼事件
晩年の福来博士
突然だが、あなたは超能力を信じるだろうか?非科学的なものは敬遠される現代だが、科学と非科学は実は紙一重である事がこの記事を読めばわかるであろう。
明治に起きた心霊実験の開祖
福来友吉(1969~1952)は岐阜県高山市に生まれた。心理学者であり、催眠術の研究を行っており、その分野で東大から文学博士の称号を得ている。その後東大の助教授となった。
変態心理学という新しいジャンル(決して如何わしいものではない)を開拓し、その被験者が「透視」をした事で有名になった。
試験者「御船千鶴子」
福来の最初の被験者「御船千鶴子」は明治42年から何度か、福来は千鶴子の透視能力を実験している。
何枚かの名刺を使って、何が書いてあるかを当てさせる実験だ。
千鶴子は透視能力を発揮したが、そのためには一人で部屋にこもる必要があった。雑念などがあると透視能力が発揮されないからだという。
だが、不正が疑われて、人前で透視をする事を要求された千鶴子はストレスのため、自殺をしてしまう。
御船千鶴子は明治19年(1886)熊本県宇土郡松合町の士族、御船秀益の次女として生まれた。明治41年(1908)に陸軍歩兵中尉、河地嘉兼と結婚するが、明治43年(1910)に離婚している。右耳が遺伝性の難聴であり、一つのことに集中し他を鑑みる事がなくなる事があったという。1911年に服毒自殺のため死亡。
試験者「長尾郁子」
千鶴子の失敗を踏まえた福来は、次の試験者に四国に住む「長尾郁子」を選択する。
郁子は人前で透視が可能で、しかも物に触れなくても透視できる才能を持っていた。
福来は更に発表に耐えれる念写という方法を考え出す。
長尾郁子は香川県丸亀市在中であり、明治4年(1871)年徳山藩の家老の娘でした。夫は丸亀裁判所の判事であり、郁子は武術を嗜む活発な女性でした。信仰心が厚く、夫の赴任先の宇都宮での大火予知するなど不思議な能力がありました。明治43年に千鶴子の透視能力を知り、子供相手に遊びで透視をしてみたら、透視の能力が有ることが分かったそうで、それを朝日新聞が報じたところ、福来の目に止まった。
1911年のインフルエンザにて死亡。
長尾郁子
念写
福来が考えた方法とは、鳴と高という2つの漢字を写真を撮り、現像させる前に郁子に透視させる。未現像だからそこには何も写っていないのだが、それを透視させる。そして、現像後その透視した漢字と現像した漢字を照らし合わせるという方法だ。
予想外の展開
実験は成功して、見事郁子は文字を当てる事が出来たが、2文字だけでは信憑性にかけるとして、再び実験をする事となった。
今度は哉、天、兆という文字も加えた。そして実験後現像してみると、高という漢字は読めないほど黒くなり、哉天兆の写真はその文字の他に、彼方此方に感光現象が見受けられたのだ。
さらに郁子は様々な文字を念写することが出来た。
実験の困難
実験には物理学者の山川健次郎も参加しました。そして明治44年(1911)1月8日にある事件が起こる。念写で利用した実験物を保管していたところ、鞄の中の写真乾版が紛失する事件が起きます。後に助手の藤教篤が乾板を入れ忘れた事が発覚しました。
この事がきっかけで長尾家の協力を得ることが出来なくなり、これ以上の郁子の実験は出来なくなりました。そして郁子自身もインフルエンザで亡くなってしまいます。
リングの貞子のモデルの高橋貞子
高橋貞子は前述の二人の能力者とは違い、自らコンタクトを取ってきた。彼女は「念写を行うから、扇印の乾板を使うように」と写真メーカーの指示までしてきたのであった。貞子は予め、「天」の文字と三本の指を念写すると言うと、その通り念写して見せた。そしてその写真にはやはり謎の感光現象も映し出されていた。
このすごい能力「高橋貞子」はホラー映画「リング」の貞子のモデルとなった人物である。
貞子の資料はほとんど無く、出生やその後もわかっていない。
高橋貞子
その後の福来博士
千里眼研究と題された一連の研究をした福来博士は大正2年(1913)「透視と念写」という書籍を刊行するが、学会で受け入れられる事は無く、同年東京大学の休職を命じられます。その後の福来は復職すること無く退職、アカデミズムから抹消されてしまいます。そして自ら術者になるため高野山で修行をして、大正15年には高野山大学の教授になっています。昭和27年肺炎で死亡します。
そのまま実験が続いていたら
福来博士は残念ながら実験を続ける事は出来なかったが、元来人間には第六感と呼ばれる能力があり、それが科学的に証明されたかもしれなかったのである。つまり研究がされていない分野は、いまだ本当の事はわからないという事であり、それは裏を返せば、霊能力はある可能性があると言う事に他ならない。
同時の新聞、紙面上部で念写しているのが御船千鶴子